『真の平等とは、不平等に対しては、不平等の扱いをすることである。』
「平等」という言葉を、多くの人々は誤解している、条件が違ったケースや人々を平等に扱えば、それは不平等になってしまうことに気づいていない。
たとえば、二人の男性が一〇〇メートル競走をするとしよう。一人は足を引きずっている九〇歳、一人は二十歳の若者だ。この二人が同じ条件で競争できるなどとは、誰も思えない。
この場合、競争させること自体がナンセンスだが、もし「どうしても」というのであれば、九〇歳の男性には九〇メートル先から走ってもらうなどのハンディをつけるべきであろう。
つまり、真の平等とは、不平等に対しては不平等の扱いをしてあげることなのである。
坂本光司

「平等」という言葉を、多くの人々は誤解している、条件が違ったケースや人々を平等に扱えば、それは不平等になってしまうことに気づいていない。
たとえば、二人の男性が一〇〇メートル競走をするとしよう。一人は足を引きずっている九〇歳、一人は二十歳の若者だ。この二人が同じ条件で競争できるなどとは、誰も思えない。
この場合、競争させること自体がナンセンスだが、もし「どうしても」というのであれば、九〇歳の男性には九〇メートル先から走ってもらうなどのハンディをつけるべきであろう。
つまり、真の平等とは、不平等に対しては不平等の扱いをしてあげることなのである。
坂本光司

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